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2012年9月27日木曜日

Möwe 1941 その2 本気の諸元と意表をつくかっこよさ

と言うわけでその2。
封筒の中には2張の図面と組立て説明の小冊子が一冊入っています。

ここで図面をざっと見て目を引くのが、曲線で整形された尾翼と主翼付け根のフィレット、それにリブやストリンガーの多さです。

外形もメーヴェ(=かもめ)を名乗るだけあってごく浅い上半角ながらガル翼となり、外翼後縁に膨らみのある主翼、しっかり翼断面のリブが入った尾翼、ダメ押しにかなり丸みを帯びた胴(前部で12角胴、後部でも4角(ひし形)胴)の設計を見ると、純粋な飛行模型と言うよりは、セミスケールモデルといった雰囲気です。

戦前の模型飛行機、それもソリッドモデルでなくフライアブルな模型で、ここまで細部の造作に凝った物はあまり見たことがありません。
(まあ、私もそんなに戦前の模型に詳しいわけではないですが・・・)

というのも当然、時代から言っても材料の指定は、バルサ材ではなく、冊子の指示では松の棒材(mm×mmでサイズ指定)と、リブ、胴枠用の1.2mmブナ合板、3mm合板です。
バルサ材以前の模型飛行機は、竹ひごやヒノキで作られていて骨が重いので、骨を少なくして(=角ばった形状にして)軽量に仕上げるのが普通だった、バルサを使うようになってからは骨を多くでき、形状の自由度が増した、と模型飛行機の歴史について書かれた文には大体書かれています。

つまりこれ、当時の模型飛行機としてはSF的にカッコイイと思われるわけですが、重すぎるのでは・・・

さらにダメ押し、写真中央の機体模式図を見ると分かりますが、通常の単胴形態と、双胴形態のコンパチモデルになっています。(ちなみに、図面にも冊子にも全体を描いた透視図は有りません。1/2.5の三面図と原寸の部品図のみです。)

どこまで本気なんだろうと思い、小冊子をめくると以下のような記述が

単胴型 スパン2m10cm 翼面荷重 16~17g/dm2 サーマルソアリング向け(テルミーク飛行に向くと記述)
双胴型 スパン2m58cm 翼面荷重 30~31g/dm2 スロープソアリング向け(滑空飛行に向く、と記述。翼面荷重からしておそらくスロープの事では無いかと推測)

で、いずれも独逸飛行協会模型規定のH級に相当する、と記述があります。戦前のドイツのH級については詳細が分からなかったのですが、スパンだけ見た場合は現在のFAI F1Aに相当するサイズに近いようです。

また、翼面荷重も、F1A規定では最低重量(410g)/最大翼面積(34dm2)で計算すると最低でも12.05g/dm2、実際にはもう少し荷重を掛けるとして、単胴型は結構近い線です。

さらにダメ押しでこんな事が。

”飛行性能は、両ソアラーとも極めて優秀であって、ゴム曳航で高空において離脱させた場合、3分ないし5分の滞空時間が得られます。”

ええええ?ほんとですかそれ?ベニヤと松で作ったグライダーが、ほぼ同規模の機体として現代の複合材料で作られたグライダーと結構良い勝負をするって事?

だいぶ下駄を履かせているというか、大げさに書いているんじゃないかとは思いますが、鼻息の荒さからして飛行性能は二の次でカッコイイ模型という方向の物でも無いと、どうもそういう事らしいです。

どれぐらい下駄を履いているのかは作ってみれば分かる事とは言え、スパン2m級のグライダーを精確に作って飛ばすというのは結構な難事業です。しかも材料が松材・・・?ん?松材?

という事で、次回、材料についての考察につづく

2012年9月26日水曜日

Möwe 1941 その1

メーヴェの図面を入手しました。
といっても、風の谷のナニガシが乗り回していたアレではありません。本格的な模型グライダーの設計図です。ずいぶんと古びた封筒ですが、事実、とんでもなく古いです。

どれぐらい古いかと言うと、中身の小冊子によると、発行年月日は昭和16年9月20日とあります。
昭和16年と言えば、1941年。この年12月6日に、日本は真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争に突入して行きます。つまり、戦前も戦前、ほぼ開戦前夜に発行された”模型飛行機の設計図”です。

この頃の日本はドイツとのつながりが強く、特に航空技術の面ではドイツを目標としていた点が多かったため、この設計図もドイツで製作されたものを日本で紹介する、という形になっているようです。
小冊子の冒頭を引用すると、

”碧空をテルミークを追って快翔するソアラーは、何かしら我々に空気力学や気象学の息吹を身近に感じさせるような気がします。この魅力は、スケールをそのままで唯寸法のみを縮小した模型ソアラーにも当然求められるのではないかと思われます。模型製作と深遠な航空科学の一端に触れると言う二重の喜びをもって、諸君がそれぞれ独創的なソアラーの製作を始められる事は、大空に生きる青年の最大の歓喜の一つでなくて何でありましょう。
しかしながら、その場合熟練者は別として、一般の方々には、何事でもそうであるように、まず基本となる優秀な模型ソアラーをその設計図を見ながら制作される事が必要であると考えます。その意味で、弊社は盟邦独逸におけるその道のエキスパート、ハインツ・ザールフェルト氏設計になる高評嘖々たる高性能ソアラー”メーヴェ”を選び、その設計図ならびに作り方を御紹介する事にしました。”(旧漢字・旧かなのみ現代語に置き換え)

うわ、なんか仰々しい!けどこの時代特有の雰囲気ですね。ここで目を引く点は、少年ではなく”大空に生きる青年”に呼びかけているらしいと言う点と、最初に出てくるソアラーが実機を指しているらしいという点があります。これって、つまりパイロット候補生向けと言う事なんでしょうか?
当時の学校教育では今からは想像できないほど熱心に模型飛行機に取り組んでいたので、単に一般の青年に向けられた物なのか、大空に生きるという特殊な立場にいる青年に向けられた言葉なのかはいまいち判然としません。

また、テルミーク、とはあまり聞きなれない言葉ですが、これはおそらくドイツ語でthermisch、英語で言えばthermal、つまりサーマルの事のようです。
またメーヴェ、という名称ですが、これはドイツ語でかもめという意味で、グライダーにつける名前としては比較的ありきたりと言うか、順当な所ではないでしょうか。

取り合えず今日はここまで。明日以降内容を紹介して行きます。