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2014年2月3日月曜日

スタジオ・ミドさんの九六式艦戦 制作その2

さてさて、前回の続きです。
前回は胴体が粗方形になったので、今回は翼関係です。

このキットでは尾翼の外骨(っていうのかな?外周部の骨です)が水平、垂直とも1枚ものになっています。

何も考えないで部品取をすると、木目方向によっては強度的に厳しいのですが、さすがに長手方向に木目が取ってあり、大丈夫のようです。





と、尾翼に入る前に胴体の不要部分を切り取ります。前回切らずに置いた胴枠の点線部分とキールを切り込み、外します。
この作業前には必ずナイフの刃を交換しましょう。ギュウギュウ切り込むと骨折してしまいますよ!







まずは垂直尾翼から。
ここはレーザーが上手く調整できていないのか、薄皮状態で部品がつながっていたので裏側からデザインナイフで軽くなぞって切り離します。
手でもごうとすると、木目がべろーんと剥けてしまうので注意!

また、部品構成が説明書と若干食い違っています。
垂直尾翼枠内の不要部にある棒材、短いほうから1~2本目は説明書の通りのレイアウトですが、一番長い棒材は説明書に無い垂直尾翼下部のスリットに接着します。こうすると木目が直交するので翼弦方向の剛性が出るのです。

2014年1月13日月曜日

スタジオ・ミドさんの九六式艦戦 制作その1

遅まきながら、あけましておめでとうございます。去年はなかなか手が付けられなかったのですが、今年はバリバリ作って行きたい所です。

さて、昨年末に購入したスタジオ・ミドさんの九六式艦戦ですが、さっそく作って行きましょう。

パッケージには”上級者向け”なんて書いてありますが、レーザーカットでホゾ組み方式となっており、とても組みやすいのでフリーフライト・バルサキット入門にもお勧めですよ。説明書も日本語ですしね。

それでは説明書の1番、胴体の組み立てから行きます。



胴枠とキールはGのバルサシートとHのバルサシートに配置されています。

この部品配置は作業しやすいですね!今までの一般的なキットでは、どちらかというとバルサ材の節約が優先で、部品形状の兼ね合いで詰められる場所に詰め込んでいることが多かったので、多数のシートから部品を切り出す必要がありましたが、このキットはそのあたりは割り切って作業しやすく配慮されているようです。

ちなみに、説明図ではG-4等のように部品に番号が打たれていますが、実際の部品には番号の表記はありません。表記されていると毎度サンディングして消さないといけないという事を考えると、これはこれでありですかね。レーザーカットのキットの場合、部品の厚みを変えてしまうようなサンディングは失敗の元にもなりますし。


2013年12月21日土曜日

スタジオ・ミドさんの九六式艦上戦闘機ハンズ・オン

スタジオ・ミドさんのサイトより転載
ご無沙汰しておりました。
専門ブログというのはネタが無いとなかなか書けないものですが、今回のネタはこれはもう書かないわけにはいきません。

スタジオ・ミドさんの新作、
”バルフライヤーシリーズ 九六式艦上戦闘機”
が発売されました!

国産のバルサ・スケールキットで、しかも一般模型店で気軽に購入できる物は数十年ぶりではないでしょうか!私が子供の頃、やはりユニオン・モデルのセスナ172とチップマンク(だったかな?)を模型店で見かけて、セスナだけは作った記憶がありますが、それ以来ですね。

九六式艦戦の模型としても、簡単に購入できるのは他には童友社の1/72プラモデルがあるだけですから、かなり貴重です。”風立ちぬ”効果でこの機体にもスポットがあたっていますから、そこそこタイムリーな製品化ではないでしょうか。

ともあれ、わたしも予約し、本日着弾しました。


気になるキット内容ですが、レーザーカットされた部材が9枚に、1.5㎜角のバルサ棒、ピアノ線、プロペラ関係とゴム、翼紙、そしてキャノピーが入っています。










スタジオ・ミドさんのサイトより転載 レーザーカット部材
このキットは現代の設計なので、部品を所定の位置に収めるための切欠きが正確に切り出されており、指示に従って部品をはめて行くだけで正確な寸法が出せます。したがって従来のモデルのように原寸図の上で位置を確かめながら組む必要は無いようで、原寸図は入っていません。

そのかわりにプラモデルのような組み立て説明書とカラー印刷の塗装指示が入っていますね。


この手のキットでカラーの印刷物が同梱されているのは結構珍しいのではないでしょうか。
しかし、その代りに(?)水転写タイプのデカールは用意されていません。付属の紙を切り抜いて貼るよう指示がありますが、ここはデカール自作か塗装で再現でしょう。


スタジオ・ミドさんのサイトより転載 主翼リブ関係
また、この手のキットでお約束のプラスティックカウルとクラークY類似のフラットボトム翼型もこのキットでは採用されていません。カウルはレーザーカットバルサの積層で、翼形は下面も膨らんだ準対称翼型です。いずれもレーザーカットだからできた新しい設計ですね。

特にプラスティックカウルの廃止は地味にありがたいです。あれは簡単に形になりますが、飛ばすときには扱いづらいですからね・・・

さて、早速組み立てに入りますか・・・


2012年10月2日火曜日

Möwe 1941 その3 疑問の多い部材リスト

冊子冒頭の部材リスト
少し間が開いてしまいましたが、前回からの続き。ドイツで設計されたと思しき戦前の模型グライダー メーヴェの図面についてです。

まずは左の部材リストをみてみてください。これを見ると、この模型が紹介された当時にあっても相当特殊な立ち位置の物で有ったのではないか、と考えられます。

まず第一に、部材選択の問題です。この模型では主要部材として松の角棒とベニヤが多用されていますが、これは変わっています。
バルサ材が容易に入手できないとしても、日本で模型飛行機を作る場合は棒材には竹ひごかヒノキの棒を使い、面積・体積のある部材を作成するためにはホオの無垢材等を使用するのが一般的だったと考えられており、松やベニヤを使用した、という話はあまり聞きません。

これはこの冊子から得られる情報をすべて真実だと仮定した場合、ドイツで設計された模型のため、部材選択も当時のドイツで一般的なものが使用され、そのままの形で紹介された、と考えられます。
しかし、それによっておそらく特殊な立場にある人以外には材料の入手からして難しい物であった事が想像できます。

もちろん、松は日本でも取れますが、部品表を見ると、寸法がmm単位で指定されています。建材としての松ならば当時でも入手はそれほど難しくないと考えられますが、それらはおそらく尺貫法に合わせたサイズしか用意されていなかったのではないかと思います。模型用にmm刻みの多様な寸法に製材した細い棒材を入手するのは難しかったのでは無いでしょうか。

また、合板(ベニヤ)の多用についても当時の国情に照らしてみると、無理が多いと思われます。問題は接着剤です。実はこの冊子にも組立て時の接着剤(膠着剤と表記)についての説明がありますが、当時の日本で一般的に手に入る接着剤と言えば、膠や澱粉のりをベースにした天然素材系の接着剤が主で、耐水性や耐熱性、それにおそらく強度に問題を抱えていました。その状況で1.2mm厚等と言う極薄のベニヤを大量生産できていたのか疑問です。

このあたりの当時の事情を調べるため、週末は古本屋めぐりをしたのですが、当時の事情をはっきり説明した資料には行き当たりませんでしたので、上記は想像に過ぎませんが・・・

組立てに使う接着剤についても、ドイツではRudol333という接着剤が流行しており、この模型もそれを使用していると書かれていますが、同時に
”これは先ず入手が困難でしょうから、市販の膠着剤を代用品として使用するより致し方ありません”
とも書かれています。

ちなみに、Rudol333とはどんな接着剤なのか軽く調べてみたのですが、冊子の説明では繊維質の耐水性の物、とありましたが、Rudol社のサイトにはおそらく後継製品と思われるRudolFix333についての説明があり、どうも合成ゴム系接着剤のようでした。

さらに言うと、昭和13年にはセメダインCが発売されているのですが(これも耐水性で繊維質)、この図面を紹介する時点でまだ一般的でなかった(著者が知らなかった)のか、上記のRudol333に比較して劣っているためあえて言及しなかったのかは分かりません。
瞬間接着剤やエポキシ接着剤、それに木工用ボンドも無いと来れば、セメダインCで良い(というか、それしか無い)気がしますが・・・

今作るなら普通に航空ベニヤとヒノキの棒材で間に合わせる事が出来ますし、接着剤もよりどりみどりですが、当時どれほどの人がこの指示のとおりの部材を集める事ができたのか考えると、当時の一般的な大人(どの道、子供の手に負えるとも思えないので)でも相当難しかったのでは無いかと思われます。

しかも、問題は主要部材にとどまらず、細かい部品も手配の難しそうなものが潜んでいます。リストを掲載してしまっているので見た方はお分かりだと思いますが、木材と接着剤が長くなりすぎたので続きはまた明日!

2012年9月27日木曜日

Möwe 1941 その2 本気の諸元と意表をつくかっこよさ

と言うわけでその2。
封筒の中には2張の図面と組立て説明の小冊子が一冊入っています。

ここで図面をざっと見て目を引くのが、曲線で整形された尾翼と主翼付け根のフィレット、それにリブやストリンガーの多さです。

外形もメーヴェ(=かもめ)を名乗るだけあってごく浅い上半角ながらガル翼となり、外翼後縁に膨らみのある主翼、しっかり翼断面のリブが入った尾翼、ダメ押しにかなり丸みを帯びた胴(前部で12角胴、後部でも4角(ひし形)胴)の設計を見ると、純粋な飛行模型と言うよりは、セミスケールモデルといった雰囲気です。

戦前の模型飛行機、それもソリッドモデルでなくフライアブルな模型で、ここまで細部の造作に凝った物はあまり見たことがありません。
(まあ、私もそんなに戦前の模型に詳しいわけではないですが・・・)

というのも当然、時代から言っても材料の指定は、バルサ材ではなく、冊子の指示では松の棒材(mm×mmでサイズ指定)と、リブ、胴枠用の1.2mmブナ合板、3mm合板です。
バルサ材以前の模型飛行機は、竹ひごやヒノキで作られていて骨が重いので、骨を少なくして(=角ばった形状にして)軽量に仕上げるのが普通だった、バルサを使うようになってからは骨を多くでき、形状の自由度が増した、と模型飛行機の歴史について書かれた文には大体書かれています。

つまりこれ、当時の模型飛行機としてはSF的にカッコイイと思われるわけですが、重すぎるのでは・・・

さらにダメ押し、写真中央の機体模式図を見ると分かりますが、通常の単胴形態と、双胴形態のコンパチモデルになっています。(ちなみに、図面にも冊子にも全体を描いた透視図は有りません。1/2.5の三面図と原寸の部品図のみです。)

どこまで本気なんだろうと思い、小冊子をめくると以下のような記述が

単胴型 スパン2m10cm 翼面荷重 16~17g/dm2 サーマルソアリング向け(テルミーク飛行に向くと記述)
双胴型 スパン2m58cm 翼面荷重 30~31g/dm2 スロープソアリング向け(滑空飛行に向く、と記述。翼面荷重からしておそらくスロープの事では無いかと推測)

で、いずれも独逸飛行協会模型規定のH級に相当する、と記述があります。戦前のドイツのH級については詳細が分からなかったのですが、スパンだけ見た場合は現在のFAI F1Aに相当するサイズに近いようです。

また、翼面荷重も、F1A規定では最低重量(410g)/最大翼面積(34dm2)で計算すると最低でも12.05g/dm2、実際にはもう少し荷重を掛けるとして、単胴型は結構近い線です。

さらにダメ押しでこんな事が。

”飛行性能は、両ソアラーとも極めて優秀であって、ゴム曳航で高空において離脱させた場合、3分ないし5分の滞空時間が得られます。”

ええええ?ほんとですかそれ?ベニヤと松で作ったグライダーが、ほぼ同規模の機体として現代の複合材料で作られたグライダーと結構良い勝負をするって事?

だいぶ下駄を履かせているというか、大げさに書いているんじゃないかとは思いますが、鼻息の荒さからして飛行性能は二の次でカッコイイ模型という方向の物でも無いと、どうもそういう事らしいです。

どれぐらい下駄を履いているのかは作ってみれば分かる事とは言え、スパン2m級のグライダーを精確に作って飛ばすというのは結構な難事業です。しかも材料が松材・・・?ん?松材?

という事で、次回、材料についての考察につづく

2012年9月26日水曜日

Möwe 1941 その1

メーヴェの図面を入手しました。
といっても、風の谷のナニガシが乗り回していたアレではありません。本格的な模型グライダーの設計図です。ずいぶんと古びた封筒ですが、事実、とんでもなく古いです。

どれぐらい古いかと言うと、中身の小冊子によると、発行年月日は昭和16年9月20日とあります。
昭和16年と言えば、1941年。この年12月6日に、日本は真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争に突入して行きます。つまり、戦前も戦前、ほぼ開戦前夜に発行された”模型飛行機の設計図”です。

この頃の日本はドイツとのつながりが強く、特に航空技術の面ではドイツを目標としていた点が多かったため、この設計図もドイツで製作されたものを日本で紹介する、という形になっているようです。
小冊子の冒頭を引用すると、

”碧空をテルミークを追って快翔するソアラーは、何かしら我々に空気力学や気象学の息吹を身近に感じさせるような気がします。この魅力は、スケールをそのままで唯寸法のみを縮小した模型ソアラーにも当然求められるのではないかと思われます。模型製作と深遠な航空科学の一端に触れると言う二重の喜びをもって、諸君がそれぞれ独創的なソアラーの製作を始められる事は、大空に生きる青年の最大の歓喜の一つでなくて何でありましょう。
しかしながら、その場合熟練者は別として、一般の方々には、何事でもそうであるように、まず基本となる優秀な模型ソアラーをその設計図を見ながら制作される事が必要であると考えます。その意味で、弊社は盟邦独逸におけるその道のエキスパート、ハインツ・ザールフェルト氏設計になる高評嘖々たる高性能ソアラー”メーヴェ”を選び、その設計図ならびに作り方を御紹介する事にしました。”(旧漢字・旧かなのみ現代語に置き換え)

うわ、なんか仰々しい!けどこの時代特有の雰囲気ですね。ここで目を引く点は、少年ではなく”大空に生きる青年”に呼びかけているらしいと言う点と、最初に出てくるソアラーが実機を指しているらしいという点があります。これって、つまりパイロット候補生向けと言う事なんでしょうか?
当時の学校教育では今からは想像できないほど熱心に模型飛行機に取り組んでいたので、単に一般の青年に向けられた物なのか、大空に生きるという特殊な立場にいる青年に向けられた言葉なのかはいまいち判然としません。

また、テルミーク、とはあまり聞きなれない言葉ですが、これはおそらくドイツ語でthermisch、英語で言えばthermal、つまりサーマルの事のようです。
またメーヴェ、という名称ですが、これはドイツ語でかもめという意味で、グライダーにつける名前としては比較的ありきたりと言うか、順当な所ではないでしょうか。

取り合えず今日はここまで。明日以降内容を紹介して行きます。

2012年8月2日木曜日

航空公園でテストフライト

出来たよー、と言ったきり、なかなか飛ばしにいけないでいたGuillow's P-40ですが、今日は天候がよさそうなので例によって所沢の航空公園にテストフライトに行って来ました。

10時頃に公園に着くと、常連さんとおぼしき方々がライトプレーンを飛ばしています。ほとんどがA級(小型タイプ 翼幅50cm以下)ですが、みなさんデサマライザーを装着しています。

公園内は程よく風も穏やかで、サーマル(上昇気流)が多数発生しているようです。

私も取り合えず気流を見るために、P-40とは別に持参したWhiteWingsのRacer590を何度かカタパルトランチしてみましたが、信じられないほど強力にサーマルを捕らえてしまい、2分以上の滞空の後、場外の林に吸い込まれてしまいました。

カメラは持っていたのにムービーに撮れなかったのが残念・・・機体のロストも残念ですが、胸のすくような飛びが見られたのでそれは帳消しにしましょう。また作れば良いしね。

ちなみに、風の強弱については、気象庁のサイトでアメダス(風)のページを見ると左のように細かく風速が表示されるので、これをアテにして飛行場に赴く事になります。
模型飛行機を快適に飛ばすには、風速3m以下程度だと良いですね。

で、本題のP-40ですが、機体を取り出すと常連さんたちが声を掛けてくれました。
「おー、綺麗に塗ってあるねえ。ピーナッツ?」
「いや、ピーナッツよりは大きいですね。アメリカのGuillow'sという所のキットです」
「重さはどれぐらい?」
「27.5gぐらいですね。相当軽量化したんですが」
「うーん、そりゃあちょっと重いなあ。ゴムは?」
「FAI3.2mmの一条です」
「ちょっと弱いんじゃないかな?ペラも小さいし」
「なるほど」
「もうちょっと太いゴムがそこの売店で売ってるから試してみたら?」

え、公園の売店でFAIラバー?と思って覗いてみると普通に売ってました。4.7mm~1.6mmまで各種。とりあえず4.7mmを購入してゴムを交換してみました。

が、滑空姿勢は良いのですが、やはりいかにもパワー不足らしく、400回巻きでもあまり上昇しません。
普通の模型飛行機のつもりでダウンスラストを付けすぎたのも良くなかったようです。低翼機ではパワーが掛かったときの頭上げが小さいんですね。
さらに痛い事に、調整用に用意した透明タブなど一式を家に忘れてきてしまったため、旋回調整もままならず、無理に上方に投げ上げて何度か垂直落下した結果、プロペラ軸受けを保持している部分が傷んでしまったため、引き上げる事に。

ただ、重すぎるという指摘も正しいようで、何度も地面に激突している割には、カウリング保持部以外は骨折一つ無く、強度過剰気味だな、というのは分かりました。

が、それ以前の問題として、ハードケースが用意できなかったので、大き目の手提げ袋に入れて電車で移動していたのですが、なんと帰りの電車内で機体がクラッシュ!修復不可能ではないですが、移動中に壊れるのはちょっと辛いので、やはりハードケースは作るべきでした。

取り合えずより軽量化した新機体とハードケースの製作をしないとですね。ハードケースはプラダンとかで作るのがいいかな・・・

それはそれとして、航空公園は航空自衛隊入間基地が近いので、基地にアプローチする機体が低空飛行している様がよく見えます。今日はC-1、YS-11、T-4等が見えました。写真は飛行点検隊のYS-11がフラップ全開、ギアダウンで着陸に向けて旋回中です。
撮影データとしては330mm相当のズームレンズのテレ端で、一回りトリミングしたぐらい、と言えば写真をやってる方にはどの程度の大きさに見えるか伝わると思います。

なんて事を半日やってましたが、家に帰ってみると腕や顔が真っ赤に日焼けしてました。これはかなりヒリヒリしそうだ・・・今度からは日焼け止めを塗ったほうが良いですね・・・